今月頂いた 連休
いつもは 旦那さまと どこかへ出掛けるのですが・・・
旦那さまは 所用で 別行動なのは 前々から分かっていました
急に ひとりぼっちで 連休となっても
どこへ 誰と行ったらいいのか・・・
とんと 見当がつかないのが 情けないところ
そこで ハッ っと ひらめいた
連休初日は 父の 88歳 米寿 の 誕生日じゃないかぁ
何十年ぶりかの 家族旅行を 企画するのはどうだろう
今年の初めに 大病を患って 手術入院した父
すっかり腰が曲がってしまった 母
年老いた両親の事
思い切って 行ける時に行っとかないと
遠出するのは 億劫みたいだし
運転は 私がするので 近場の方が 助かる
そうだ 市内に 自慢の宿があるじゃないか
梅田の一番奥
桐生が誇る 割烹旅館 清風園
究極の GO TO トラベル 市内の旅だ
早速 姉に相談すると グッドアイデア と ノリノリ
『 仕事を 終えてからでも 間に合うしね
次の日は 少し遅れて出勤するから大丈夫 』
兄を誘うと
『 次の日 授業参観だから泊まれないけど
食事だけ まざるかなぁ 』
両親に話すと とっても喜んでくれたので
約 半世紀ぶりの 家族旅行が 決行されました
冬の足音が 確実に近づいてきた先週とは 打って変わって
暦が 一か月ほど 逆戻りしたかのような
暖かで 穏やかな日
今が一番キレイなのでは と思うほどの 紅葉に迎えられ
清風園 到着です
清風園さんと言えば・・・
約30年前
当時勤めていた
ファンベックすずきさんのマダムから
お休みの日に電話をいただき
『 鮎 食べ行くけど
一緒に どお 』
と お誘いいただいたのが
初めてでした
鮎尽くしのお料理が
美味しかったぁ~~
と言う 思い出
あの時は
普通の旅館という感じでしたので
ずいぶん イメージが違います
さすが
わがまち風景賞 を 受賞した宿 です
案内された 2階のお部屋からの景色が これまた素晴らしい
桐生川の流れを見下ろして
心癒される時間が流れます
ひと風呂浴びて 兄と姉の 到着を待つとするか・・・ と
清流と 紅葉の コラボレーションを楽しみながら
一番乗りゆえの 貸切風呂 を 満喫です
18時を少し過ぎた頃
ようやく 別々に 2人が到着
すっかり日が暮れて
暗い山道を運転してきた2人は
ホントに この道で合ってるか 不安になったよぉ と 口々に
わかるわかる
それぞれのつれあいや
子供たちを交えての
集まりは 多々あったけど
こうして 家族水入らずなのは
実に 50年ぶりかも知れません
私が 物心ついたころには ウチには 寝たきりのおじいちゃんがいて
母は 約10年 在宅介護していました
父は 農協に勤めながらの 兼業農家で
米や 野菜をつくっていたので
家族で旅行などメッタに行けず
記憶にあるのは 小学校1年生の時に行った 福島旅行 1度きりです
そんな昔話に
花をさかせながら
丁寧な仕事ぶりの
前菜の数々をいただきます
両親は
創作会席料理
子供たちは
上州牛の
すきやきコースです
ウチのすき焼きは
豚肉だったよね
たまごを2個目使うのが
贅沢だって 遠慮してたよね
と また 昔話
田植えの日はさぁ
お昼は ご飯の上に豆腐
ぐちゃぐちゃにしてのせた
冷ややっこご飯食べて・・・
収穫した稲を積んだ耕運機の
一番上に乗っかって
ウチに帰ってくるのが
誇らしくてさぁ~~
兄は
『 よく覚えてるんなぁ~ 』
と 感心する事しきり
今思えば 質素な暮らしぶりでした
柚 グラタン
上州牛のロースト
下仁田ネギソース は
アチラの料理でしたが もう両親はお腹いっぱいで
食べられず 私たちの元に
他にも 食べきれないほどのおもてなし料理が・・・
お蕎麦は 満腹でも
不思議と食べられる
清風園さんのご厚意で
バースデー
ラフランスのコンポートを
サービスしていただきました
なんて ありがたい
姉妹で
ハッピバースデー トゥーユー
の 歌も プレゼント
『 ほんとに 思いがけなく いい思いさせてもらったよ 』 と
母は 泣きそう
喜んでもらえて ヨカッタ ヨカッタ
そんな余韻に浸りながら 梅田の夜は 更けて行きました
翌日も 非日常な朝ごはん
普段は こんなに食べられないよね~~ と言いながら ご飯はもちろん おかわり
きれいに平らげます
朝食を終えて すぐに出勤した姉に 続き
私たちも チェックアウト
GO TO トラベルのおかげで ほぼ半額で泊まることが出来ました
こんな機会でもなければ わざわざ泊まってまで来ることはなかっただろうけど
我ながら スゲー いい企画だったと 自画自賛
そして 両親には これからも元気でいて欲しい と願うばかり
あっ そうそう
旦那さまも
今度 ランチに
連れて来てあげよっと